発起人の七戸(岩手出身)、茂木(宮城出身)、内藤(秋田出身)の東北組と、何故か京都出身の僕の4人で、片道900kmを運転してきました。
あの日からちょうど5カ月目となった初日は宮城の石巻専修大のグランドで、石巻地区のスクール(石巻ライノス)と高校生(石巻工他2チーム)へ指導してきました。
たくさんの部員の子の家が津波で流され、もちろんラグビー用品など無いので、以前ヴェルブリッツから寄付されたジャージを喜んで毎日着ている子もいるそうです。
午後はボランティア活動を行いました。
地元にあるラグビー場が自衛隊のベースキャンプ地に使われ(現在は撤退しましたが)、グランドに多くの砂利が石畳のように残っており、恐らく莫大なお金をかけもう一度地面を掘り起こして芝を張りかえなければならないと思いますが、無残な姿に驚きました。
このグランドの周りにも多くの砂利が残っているので、高校生たちと汗だくになりながら取り除きました。
炎天下の中では非常につらく、今現在ボランティア活動をされいる方々には本当に頭が下がります。
また港の方を見に行きましたが、家も店も1階がやられ、お墓もいまだにグチャグチャで、まだまだ時間がかかるなあと印象を受けました。
晩に先生たちと食事に行きましたが、報道されていないいろいろな話を聞き、また皆さん笑いながら話してらっしゃったので、本当に強いなあと感じました。
2日目は釜石に行きました。
壊滅的な被害を受けた南三陸町、陸前高田市、大船渡市を抜けてきましたが、悲惨な光景に言葉を失いました。
橋の上に家が乗っていたり、建物の屋上に車が乗っている光景を見ると、本当に大きな津波だったんだなあとあらためて感じました。
震災直後は瓦礫はもちろん、泥がすごかったらしいですが、自衛隊やボランティアの皆さんのおかげで、かなり片づけられているなあという印象です。
あちこちにある瓦礫の山は量も匂いもハンパなかったです。
午後から岩手県釜石高校のグランドで釜石商業の選手も交えて指導会を行いました。
ある子に「家は大丈夫だった」と聞くと、「流されちゃいました。今は知り合いの家に泊らせてもらって通ってます」とニコッとしながら返ってきたので、どう言葉を掛けてあげたらいいのか本当に心苦しかったです。
できる事はしなければなと強く思いました。
ひどいことが起きた事なんて想像もできないぐらい、みんな元気に一生懸命ラグビーをしていました。
どちらの高校か忘れましたが、周りの子から「こいつは別格です」と言われていた大型センターがいました。
後から聞くと高橋善幸の息子さんらしいです。
この日は盛岡の七戸の実家に泊めてもらい、最終日に備えました。
朝早く出発し、宮古高校へ向かいました。
津波で完全に埋まった河川敷のグランドは黒沢尻工ラグビー部の賢明な復旧活動で現在は元通りになりましたが、今でも液状化と地盤沈下で大潮になると水ぴたしになるようです。
ここでもみんなでラグビーを楽しみました。
練習着を寄付してきましたがみんな喜んでくれたのでありがたいです。ぜひ頑張ってもらいたい。
この日は地元のスクール生が数名参加しましたが、この子たちのレベルの高さに驚きました。
明らかに高校生よりもうまい子がいたので、将来大物になるかもしれません。
慎平が秋田へ帰ったので、帰りは3人で運転です。
本当に疲れましたが、今回の指導会に参加させてもらって本当に良かったと思います。
これから様々な場面で壁にぶち当たった時、東北の子供たちの顔を思いだし、がんばっていこうかなと思います。
あの日からちょうど5カ月目となった初日は宮城の石巻専修大のグランドで、石巻地区のスクール(石巻ライノス)と高校生(石巻工他2チーム)へ指導してきました。
たくさんの部員の子の家が津波で流され、もちろんラグビー用品など無いので、以前ヴェルブリッツから寄付されたジャージを喜んで毎日着ている子もいるそうです。
午後はボランティア活動を行いました。
地元にあるラグビー場が自衛隊のベースキャンプ地に使われ(現在は撤退しましたが)、グランドに多くの砂利が石畳のように残っており、恐らく莫大なお金をかけもう一度地面を掘り起こして芝を張りかえなければならないと思いますが、無残な姿に驚きました。
このグランドの周りにも多くの砂利が残っているので、高校生たちと汗だくになりながら取り除きました。
炎天下の中では非常につらく、今現在ボランティア活動をされいる方々には本当に頭が下がります。
また港の方を見に行きましたが、家も店も1階がやられ、お墓もいまだにグチャグチャで、まだまだ時間がかかるなあと印象を受けました。
晩に先生たちと食事に行きましたが、報道されていないいろいろな話を聞き、また皆さん笑いながら話してらっしゃったので、本当に強いなあと感じました。
2日目は釜石に行きました。
壊滅的な被害を受けた南三陸町、陸前高田市、大船渡市を抜けてきましたが、悲惨な光景に言葉を失いました。
橋の上に家が乗っていたり、建物の屋上に車が乗っている光景を見ると、本当に大きな津波だったんだなあとあらためて感じました。
震災直後は瓦礫はもちろん、泥がすごかったらしいですが、自衛隊やボランティアの皆さんのおかげで、かなり片づけられているなあという印象です。
あちこちにある瓦礫の山は量も匂いもハンパなかったです。
午後から岩手県釜石高校のグランドで釜石商業の選手も交えて指導会を行いました。
ある子に「家は大丈夫だった」と聞くと、「流されちゃいました。今は知り合いの家に泊らせてもらって通ってます」とニコッとしながら返ってきたので、どう言葉を掛けてあげたらいいのか本当に心苦しかったです。
できる事はしなければなと強く思いました。
ひどいことが起きた事なんて想像もできないぐらい、みんな元気に一生懸命ラグビーをしていました。
どちらの高校か忘れましたが、周りの子から「こいつは別格です」と言われていた大型センターがいました。
後から聞くと高橋善幸の息子さんらしいです。
この日は盛岡の七戸の実家に泊めてもらい、最終日に備えました。
朝早く出発し、宮古高校へ向かいました。
津波で完全に埋まった河川敷のグランドは黒沢尻工ラグビー部の賢明な復旧活動で現在は元通りになりましたが、今でも液状化と地盤沈下で大潮になると水ぴたしになるようです。
ここでもみんなでラグビーを楽しみました。
練習着を寄付してきましたがみんな喜んでくれたのでありがたいです。ぜひ頑張ってもらいたい。
この日は地元のスクール生が数名参加しましたが、この子たちのレベルの高さに驚きました。
明らかに高校生よりもうまい子がいたので、将来大物になるかもしれません。
慎平が秋田へ帰ったので、帰りは3人で運転です。
本当に疲れましたが、今回の指導会に参加させてもらって本当に良かったと思います。
これから様々な場面で壁にぶち当たった時、東北の子供たちの顔を思いだし、がんばっていこうかなと思います。
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